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日本経営者新聞 No.53

ヨシゼ財団蝶々プロジェクト発表

昨年11月、韓国・ソウルに拠点を置くアジア最大のシンクタンクであるヨシゼ財団は、ソウル市内にてフューチャーコンセンサスフォーラムを開催した。日本からは、石破茂衆議院議員、前田匡史・日本国際協力銀行代表兼副総裁等も参加。日本経営者同友会・下地常雄会長と徳田ひとみ代表理事が出席した。同フォーラムにおいては蝶々プロジェクト(英語名Butterfly Project)が発表された。

 「東北アジア安定と繁栄のための新経済構想」を蝶々プロジェクトと詠い、北東航路とユーラシア大陸を右、北西航路とアメリカ大陸を左と、それぞれ両翼の航路を設け、物流ネットワークの活性化を促すことで、ユーラシア大陸とアメリカ大陸を一つに繋ぐ経済秩序構想である。世界地図上に表示された二つの赤道航路と二つの北極航路の形が、蝶々に類似しているということで蝶々プロジェクトと命名された。

蝶という言葉を用いた理由は、形が類似していること以外にも、荘子の故事である「胡蝶の夢」で蝶は幸福を意味するとされる。更に、蝶は中国語でその音が、長寿と持続性を連想させる。このことから新しい航路である北極航路を切り開き、長期的で持続可能な発展を成し遂げるという期待を込め、蝶々プロジェクトと命名された

本プロジェクトは、韓・中・日・露・米の五カ国で推進できる構想であり、不安定な状況と直面する今日の国際社会において、共存と協力を成し遂げる試みとなる。

このプロジェクトを通して、新たな物流ネットワークが形成された時には、新たな港湾都市が誕生し、これらの都市が発展を成し遂げるためには、エネルギーの安定した供給と持続可能な発展のための成長戦略が要求される。

開発のための金融、エネルギーを巡る協力、自由な貿易など多面的な協力が求められることを意味し、こうした都市間の連携や協力を基盤として、中国の東北三省、ロシア、沿海州、日本、アラスカなどにおいて、これまで発展から取り残されてきた地域の繁栄が見込めることになる。世界経済の活性化は勿論のこと、平和かつ安定した国際秩序形成を担うことになる。


  • 各国からの参加者の集合写真
    平昌五輪マスコットも登場

  • フォーラム閉会セレモニー会場
      
      

  • 日本からのパネラーの方々と共に

スティーブ・バノン氏来日

昨12月16日、東京渋谷で開かれたJ-CPAC2017(Japanese Conservative Political Action Conference)の基調講演に登壇するため、スティーブ・バノン氏が来日した。氏は、前ブライトバートニュース会長。前米国主席戦略官・大統領上級顧問、2016年の米国大統領選挙では、トランプ陣営の選挙対策本部長に起用され、当選に貢献した。2017年8月に辞任はしたがアジア方面での外交で活躍している。

講演では、誰も予想できなかったトランプ氏の奇跡的勝利をもたらした選挙戦略について語った。本会議へ出席した下地常雄・日本経営者同友会会長は、講演後、バノン氏と個別に面会した。

来日後の今年1月、トランプ政権の暴露本『炎と怒り』を出版(日本では、翻訳版が2月に発売)、ホワイトハウスを情報不足の中で意思決定が行われる混乱と背信が渦巻く場所と批判をし、トランプ大統領から不信を抱かれ、ブライトバートニュースの会長職を追われた。

同氏は、米国バージニア州出身。大学卒業後、海軍で大尉を務めた後、ジョージタウン大学で安全保障論で修士号を取得、ハーバード大学ビジネススクールにて経営学修士を取得した。ゴールドマン・サックスで投資銀行業務に携わり、メディア専門の投資会社であるバノン株式会社を設立。中国のオンラインゲーム会社を経営。2008年の大統領選で共和党の副大統領候補サラ・ペイリンを擁護する映画を製作した際、大統領選への出馬を考えていたトランプ氏に助言を求められるようになり、トランプ陣営の選挙対策本部長に起用されたという経緯がある。  



  • バノン氏と歓談する弊会・下地常雄会長 

  • 下地会長(左)とバノン氏(右)

スリランカ独立70周年記念式典


2月4日、東京港区にある霊友会小谷ホールにてスリランカ民主社会主義共和国独立70周年記念式典(主催:駐日スリランカ大使館)が開かれた。式典へは日本に在住するスリランカの方々や関係者が多数出席した。
会場は、仏教、ヒンドゥー教、カソリック、イスラム教それぞれによる儀式や祈祷が行われ、70年前の母国の独立に対し尽力をした人達への黙祷、そして今日も尚、母国が存在していることへの感謝と喜びを出席者全員で分かち合った。駐日スリランカ大使館特命全権大使であるダンミカ・ガンガーナート・ディサーナーヤカ閣下よりシリセーナ大統領のメッセージが代読された。

最後は、ディサーナーヤカ特命全権大使から「スリランカは、まだ発展途上ながらも、70年前に手に入れた独立と自由の喜びを感じ、これからも日本国とは親善を続けていきたい」と祝いの言葉で閉められた。
自国で生まれ育った人達には、自国が存在するというのは当然のことと受け止めがちである。独立して自由を手に入れた歴史のあるスリランカ人たちにとっては、「帰る場所がある、骨を埋める場所がある、故郷がある」ことの喜びを改めて祝う場となった。

日・スリランカ友好の歴史

日本にとって、スリランカは歴史的に重要な役割を果たしてくれた国家である。第二次世界大戦後、敗戦国である日本は、戦勝国から四分割統治するという条件を提示された。

1951年のサンフランシスコ講和会議に出席したスリランカのジャヤワルダナ代表(当時大蔵大臣、後に初代大統領)が、「憎悪は憎悪によって止むことはなく慈愛によって止む」とブッダの教えを説いた演説を行い四分割統治という国際的制裁措置を求めていた戦勝国の意志を覆した。その後、日本は分割されることなく、国際復帰、高度成長への道を歩むことになる。

サンフランシスコ講和条約後、いち早く日本と外交関係を正式に結んだのもスリランカであった。その功績の証としてジャヤワルダナ初代大統領顕影碑が、鎌倉大仏の敷地内に建立されている。


  • 大統領のメッセージを代読するディサーナーヤカ大使

  • オイルランプへの点灯セレモニー

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